地方で暮らすということ

9月の最後の週末、徳島にでかけた

今まで何度か参加したことがある建築家協会の全国大会であるが

徳島はまだ行ったことがない場所だったこともあり、タイミングも良かった

もう10年以上前になるが 友人と 直島経由で高松に行ったことがある

そのころは 直島のベネッセの事業が注目を浴びている頃

また、高松郊外にあるイサムノグチのアトリエと美術館も 伝手があり

喜び勇んででかけた

四国は瀬戸内海沿岸の愛媛県と香川県は高度経済の恩恵を受けて工業化していたが

いくつかの橋梁ができて、便利になった反面、仕事を本州側に取られた感があったが

高松から丸亀に行く間の鉄道から見た景色に 現れていたように覚えている

反対側の高知県と徳島県はなんとなくそういう発展から遅れた感があったが

最近は逆に中途半端に開発されていない部分が 新たな需要を生んでいるようにも思える

高知県はまだ行っていないが龍馬がらみの施設や牧野富太郎博物館など

興味のある施設があるが  徳島は正直 思い浮かばない

暴れ川といわれている吉野川が 県を東西に走り、その他は平地が少なく

山が多いというのが 特徴らしい

農業も山の斜面に畑を作るしかなく、大変な場所だと 行ってみて初めて分かった

という過酷な条件にも関わらず、最近は都会からの若者が移住しているので

有名な地域もある

建築家の大会でいくつかセッション的なセミナーに参加した

有名建築家の話もいくつかあったが

最終日、若手を中心に 徳島など地方で仕事をしている大学の先生や建築家の

セミナーは とてもよかった

彼らは 60代以上の バブリーな経験のある世代ではなく

厳しい現状のなかから新しい価値観を見つけようとしていた

フランスで暮らしたことのある人が フランスではパリなどの都会より 

地方の方が豊かな暮らしができるとのイメージが定着している と紹介

彼らの話を聞いて これからジリ貧になるだけでなく

違う価値観が育って 豊かになる予感もした

養老猛 も 戦時中は都会より農家の人の方が食料がある強みがあったが

戦後、こぞって都会に出て豊かになったように思っていたが

都会で暮らしていけなくなると また地方に戻るだけだ  とも

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夏の終わりに

今年の夏は 暑かったのと 野暮用が多かったので

ブログは長期休暇となりました

いつしか蝉の声も 聞こえなくなっていましたが

今朝 我が家で、ツクツクボーシ が鳴いていることに気が付いた

近年、 クマゼミが勢力を圧巻しているようですが

正直なところ 私は 蝉取りをしたことがないので 鳴き声や種類はよくわからない

我が家は庭の木がぼうぼうに伸び切り 森のごとくになっているせいで

梅雨明けから 盆の頃まで その鳴き声はすさまじい

ある日突然 鳴きはじめ そして あれっというほど あっけなく鳴かなくなる

あんなにうるさかったのに、そうなったらそうなったで 夏が終わったなーと寂しくなる


夏の夕暮れ 川や山に遊びに行ったとき カナカナ となく ヒグラシの声は

郷愁をかられるような 寂しいような 不思議な風情があり

夏の間に 一度も聞かないと 夏が終わったような気がしない


今年は残念ながら その機会がなく、 これでは夏が終わらない と

どこか山か川にと、9月中旬 白山を見に行くことになった

白山に登るのは自信がないので 見えるところに行くということで

白山スーパー林道 (今は名前が変わっているが この名がなじみ深い)に行った

残念ながらこの日、ウルトラマラソンの開催日で 午前中は白川郷で暇つぶし

なるべく、観光客がいない 里山との境辺りを散策したが

そこで なんと ミーンミーン 蝉の声を聴いた

何年と聞いたことがない、 そうか こういう鳴き方をしていたかと 感慨に浸った

名古屋に来て30年以上になるが 名古屋で聞いたという記憶がないが

一体いつどこで聴いていたんだろう

そして ツクツクホーシ 我が家に住みつくんだろうか?


「夏草や 岩にしみいる 蝉の声」  という 有名な芭蕉の句の

此の蝉の種類は何か ということが以前話題になっていたが

たしか ミーンミーン蝉か 油蝉か と 議論していたように覚えている

ツクツクホーシやヒグラシではイメージが合わない とか

で 油蝉がどんな鳴き声なのか 私には記憶がないが

日本人って こういうことに 感情を揺さぶられる 国民なんだな と

感性の鋭さに 感心している






フィンランド紀行 5

フィンランドでの1日はとても充実していて なかなか進まない

ここまではまだ1日の出来事だ 

2日目の朝は やはり5時前に目が覚めるが 我慢して 5時起床

この日は おしゃれなキッチンのミーレのIHで初めて目玉焼きをつくる

IHは使い慣れていないので おっかなびっくりだ

そのあと、ボッシュのドラム式洗濯機で初洗濯 使い方は適当だけど

何とかなるものです

この日は 夕方長年の知人のハンニさんのお宅に招かれている

それまで 近くのアアルト大学を見学することにしているが 半日以上ある

先ずは近くの 有名な岩の教会 テンペリウオキ教会に

が、な なんと 大勢の観光客、特に中国人の団体が入るのを見て

急遽中止に 私はそれでも見たかったけれど 他の二人は一度来ているので

かんたんに却下  まあ、いいけど ブツブツ・・・・

この日はこの後トラブル続きで 険悪なムードが続くが まあそれは置いて

気を取り直して テレビで見て行ってみたかった カンピ広場の教会に

これは若い建築家による宇宙船のような形をした 奇抜なものであるが

実際は それほど威圧感がなく、広場の隅に収まっていた

構造体は何かわからないが 外壁は 5,6センチ角の角材を順番に重ねている

内部も楕円形のシンプルなつくりで なかなかのできだった

何よりも 人が少ないのが いい 

そのあとは ミーハーは私主導で かもめ食堂の舞台にもなっていた港へ

実はここには アアルトの建築があるんです

エンゾグートツァイという製紙会社のビルで白い大理石の格子状の外観

多くのアアルトの建物の中で少し違った表現であるが 周りの

教会などから浮き上がらないようにとの配慮があってのことらしい

中には入れなかったけれど ぐるりと 周囲を回ってみて 発見

表から見ると 四角い建物のように見えるが

実は裏側の一部がえぐれていて コの字型になっている

そこはどうやら 中庭風のホールで 屋根の天窓のディテールが

外からでもよくわかった   少しづつではあるが アアルトの

癖というか設計手法が 見えてきたような

本当は内部も見てきちんと解説を聞くと いいだろうな と 残念であった

でも 決め決めでなく ゆる~い 旅で ハプニングと付き合いながら

思いがけない発見をするのは 得をしたような気分だ

実はこの建物 かもめ食堂で もたいまさこさんが 港で電話をかけている

シーンの 背景に映っているんだよな・・・

フィンランド紀行 4 アアルトハウス

アアルトのアトリエから 裏道を歩いて 10分で 自邸につく

もともと自邸の一部にあったアトリエが手狭になり 近くに移転した

この自邸が完成したのは1935年で計算してみて驚いたことに80年以上も

経過している このころ、パイミオのサナトリウムが世界的な評価を得て

次々に仕事が舞い込む時期だったんだろう

同時にこの時期は第2次世界大戦の直前、ドイツ人のグロピウスやミースたちが

アメリカに亡命しようとしていた頃だ

とてもそんな時期に建てられたとは 思えず このまま住めそう!

外観は屋根のないフラットルーフであるが木や塗装などによる仕上げなので

モダンであるが どこか懐かしさもある

道路側の玄関から右の方はアトリエにつながり 左側のゾーンがLDKなど

内部はとても落ち着いた 生活のしやすい作りで アトリエとも

付かず離れず うまく分離されている

2階のつくりを見て特に驚いたのであるが  知らず知らずのうち

かなりアアルトからの影響を受けていたようだ

想像するに、私の1世代上の建築家たちが設計する住宅を見て

いいな とおもう 部分を 自分なりに取り入れていたからで

その原点が アアルトにあるとは 思ってもみなかった

それは 単にデザインや ディディールなど表面に出ているものではなく

生活の仕方や空間構成などのコンセプト やスケール感 などである

その2階の構成であるが 階段を上がったところが 家族のラウンジになっていて

その周りに子供部屋、夫婦の寝室、水回り などを配している

そうか、この考え方は アアルトだったんだ と ひとり ほくそ笑んだ

図面をよく見ればわかることだけど 実際に見て感じるのは また別である

私も今まで2階は廊下があって部屋が南側にずらずら並んでいる

という構成はいやだった 下宿のようで・・・

我が家の場合も子供部屋と夫婦の寝室の間に廊下を兼ねた家事室兼

皆の居場所をつくったが、それは好評であったので

ほかの設計でも ファミリールーム、パソコンコーナー、ピアノのある部屋

など ラウンジ的な空間を作るようにしていた

此の辺りのことは お知らせの写真の解説でどうぞ

また お庭もとってもよかった 周りを塀で囲みすぎず 高低差を生かしながら

最低限の事だけをやっている  物の本によると この時期 経済的には

大変だったらしい、 戦争前のこの時期 贅沢はできないよね

でも お金があるからと言っていい家ができるとは限らない

限られた 中での方が いいアイデイアが出るのは 古今東西 同じかも





フィンランド紀行 3 アトリエ アアルト

アアルトカフェで食事をした後、12:30からのアトリエ見学に向かった

少し郊外の閑静な住宅街 周りの住宅もそれぞれ趣があり

1軒1軒訪ねたい思いに駆られる


チケットを買う時 シニア料金があったので ダメもとで

シニアです といったら、パスポートを提示する訳でもなく

「は~い」 と 半額に  確認するまでもなく シニア とわかったのだと 

うれしいような 悲しいような トホホ 

キュートなフィンランド人の ハンナ ちゃん の丁寧な説明

最近、英語環境から遠ざかっていたが 英語が母国語でないので

あまり 難しい表現はなく 以外にも わかる部分が多く ちょっとうれしい

最初に地下の食堂から見学 ここは後で増築した部分であるが

2列にテーブルが配置してあるのだが それが平行ではなく

V字型になっている  つまり 入り口側がひらき 奥が狭いという形

人の流れを考えると 確かに 合理的 後で キッチンもみせてもらったが

やはりこの形で アアルトが常に 人の動きを注意深く観察していたことが

読み取れた   それを見ながら かつての自分の失敗を思い出した

それはまだ事務所勤めの頃 並列タイプのキッチンで 天板の高さを

左右で変えたい という奥様の要望に タイルの割り付けが変わるからと

抵抗したが、 高さが違うことが理にかなっているということに 

若いころはわからず デザインを追い求めていた 苦い思い出

その頃、アアルトの考え方がわかっていたら もう少し違っていたんだろうな


その後 2階の製図室に上がって その落ち着いた明るさと解放感の対比に

声を出さんばかりであった

アアルトの作品の内部を見るのは これが初めてなので

その緻密でさりげない計算しつくされた 空間のつながりに

あらためて 敬服した

このアトリエはいわゆる設計事務所の製図室とオフィスであるが

1955年に完成している それまではすぐ近くにある自邸の中にあったが

多くの仕事をかかえ 上り調子のころ 所員の数も 増え さらに大きな仕事を

始める まさにそのころのものだ

しかし、 スケール感といい 細やかな生活者への配慮

厳しいフィンランドの気候に対応する心構えなど

建築の用途や規模が違え ここに原点の一つがあることにまちがいない

見学の後、この場所でアアルト財団のミーテイングが予定されていた

2日後に向かうユヴァスキュラを案内してくれる アン を紹介してもらい

ラッキーであった  ここから徒歩10分ほどの 自邸の見学に向かうが

ここには書ききれないようだ 





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