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旅と旅行のちがいは

旅と旅行の違いは・・・? サイトにいろいろと書いてあります

正確には旅とは言えないが (トラさんではないから) 

旅行とも言い難い たび のようなものをしてきました

行先は  です

20代のころ anan nonno が発刊され 触発されていましたが

お金がなかったからそれほど遠くには行けず そのころから

萩や津和野 は いつか行きたい場所でした


萩が 歴史好きにはたまらない街だということは幕末の有名人の多さで誰もが知るが

同時に江戸の町並みがこれほど残っているとは 予想以上でした

周りの建築好きの人たちからもあまり聞いたことがなかったので 感動的でした


新幹線とホテルの予約だけをして あとは行き当たりばったり

気の向くままの街歩き


新山口からバスで萩に向かいましたが

車窓から赤い瓦の集落が これでもか これでもか と続いていました

そういえば 広島の手前で トンネルが途切れたあたりにも同じような集落がありました

かなり圧倒的な迫力です

ところが 萩にはいると瓦の色はほとんどグレー系です

うーん  なんでかな  とずっと疑問でした

旅の終わりころに出会った 素敵なボランテイアガイドの方に

思わず その赤い瓦のことを聞いてみました。

それは 石州瓦だそうで 島根県の石見地方で焼かれている瓦だそうです

なんでも雪深いところではその丈夫さ故 よく使われるらしい

そんな話をしていたら 一人旅の若い男性が

「僕は石見銀山に行ってきたが・・・」 とそのあたりの写真をみせてくれた

やはり 赤の集団だった

しかもその人は広島県の西条のひとでその地方にも多いらしい


おおっ そうか、新幹線から垣間見た景色は 西条だったんだ!

広島県が故郷ではあるが 一番東の岡山よりで 考えたら東にばかり向かっていた

何を隠そう、実は今回新幹線で故郷より西に行ったのは初めてでした

帰ってから調べたら 愛知県の三州瓦と淡路瓦とこの石州瓦が 日本の三大瓦 とのこと


赤い瓦は確かに見慣れないと異様な景色かもしれないが

緑の山間の景色とは よくあっていた

山陰の冬は暗くて重い空気が漂っているので意外とこの赤は気持ちを引き立ててくれる

そういえば 北欧でも 赤い壁の家が伝統的だ。

その色の意味はまだよく調べていないが、かつて交易が十分でない時代は

その場所で取れた材料で家を作っていたので

統一感があり、風土にも対応していて 集団的な美しさがあった

そして 森の中での ランドマーク的な目印にもなる

北欧の赤い壁は未体験であるがアメリカでも同じような 

レッドバーンと呼ばれる 伝統的な赤い倉庫がある

緑のなかでその赤が 大変美しかったことを思い出した


たび の最初にまず衝撃をうけた 赤い瓦 まだまだ奥が深そうだ




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明治村散策

2月に明治村を見学する機会があった

もう何度となく訪れているが そのたびに発見がある

今回は西園寺公望邸の改修工事がメインであったが

すぐ近くに 少し前に完成した 武田五一の芝川又右衛門邸があるので

見学時間ではなかったが ちゃっかり図々しく お邪魔してしまった

案内係のおじさんが おばさんパワーに押されたのか

「ちょっとだけよ・・・」といいながらしっかり解説をしてくれた

単なるおばさんではなく なんだか知らないけれど建築に興味があるらしいと

正しい判断をしてくれたのかなー 

おじさんの説明を懸命に聞き、さらに興味津々で突っ込んだ質問をするものだから

たぶん、気分がよかったんだと思う

話がそれてばかりいるが 興味を持ってくれる人には

余計なことまでついついしゃべってしまうのは 人間の性ではあるが・・・

この芝川邸はかつては西宮にあったが阪神淡路大震災の時

壊れはしなかったが暖炉の煙突が倒れて雨漏りがするので

痛むことを恐れて解体していた

経緯はよくわからないが 明治村への移築が決まり当時建っていた

傾斜地を設定しての建設だった

武田五一の設計は権威的ではなく 生活者の想いをくみながら

センス良くまとめているので とても好ましい 是非見学をお勧めしたい

ほんとは西園寺公望邸のことを書く予定が大幅に横道にそれてしまったのは

こんな思い出があるからかもしれない

 


子供のころ お稽古の発表会でよく利用した 故郷の市民ホール

小学生の頃なので建築には全く興味がなかったが

古びた 塔のある建物が 子供心に印象的で 自分の番が回ってくる前など

塔に登って遊んでいた

高度経済成長期のころ 古びて収容人数も少ないホールは壊され

その当時の近代的な市民ホールに建て替わったが 

ずいぶん後になってそのホールが 武田五一の設計とわかり 感無量であった


その頃の故郷は 市が発展することだけを願い

古いものは平気で壊すという風潮があった

明治維新のころの 廃仏毀釈 に似ているかもしれない

最近は古いものを大事にしようという良心的な市民の活動もあるが

政治の中心にいる人には届かないようだ

残念だったのは 駅前の開発時にお城の城壁の遺構が出てきて

それらを生かして公園を作るという案があったのに

結局、だれが得するのかわからないが

市民のためとか言って タクシー乗り場のほうを優先した

全くお恥ずかしい限りの 貧策で悲しくなった


明治村を訪れると こんな形でしか古いものが残らないのかなとも思うが

壊されるよりはましかなと  名鉄さんを応援したくなります

西園寺公望邸はまたいずれ・・・・!
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