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家具履歴

話題の家具屋の株主総会も終わり 一件落着 ですが

テレビでは まだ当分 この騒動が 話題になりそう

家具って 暮らしに欠かせない 道具で、奥が深いとつくづく感じる

自分の家具遍歴を見ても  その深さがよくわかる


子供のころは家にあるものを使うので不満はあっても どうしようもなかった

最初に下宿していた時の家具はもらい物や、安物で

結婚前に 一掃した

結婚後のアメリカ暮らしはガレージセールやもらい物でそろえ

帰国時に 知人に譲って再び一掃

その後 名古屋に落ち着くと決めたはいいが お金はないし アパートは狭いしで

夫が学生時代に使っていた 箪笥と本棚を引っ張り出し

テーブルは ダイエーで購入した炬燵で我慢した

その他 電化製品とお布団を買うので精いっぱいだったから

人には自慢できない貧しい暮らしであったが 

神田川や赤ちょうちんの歌の世界に比べれば、まだましで 

そんなものだと認識していたし、それはそれで楽しかった  

その後、お金が増えない割に 物は増え、

中途半端な家具を買うくらいならと夫の手作り家具に頼ることになった

この時 アメリカで買っておいた DIY の本が役に立った

その当時日本人は安っぽい家具を間に合わせで買うが一般的だったが

アメリカ人は 自分たちの使いやすい家具を自分たちで作っていた

このあたりは 家具の歴史が違うのかもしれない


当時の手作り家具は今でも使っているものが多い

その1つは 雑誌収納家具 

雑誌って 本棚に入れると ピシッとしないので 雪崩状態になる

そこで 雑誌を横にして ほぼ1年分づつを積み上げる方法で作った

これは高さが45センチほどで横長なので 窓際において 

テレビ台や飾り棚にぴったりだった

この家具、今では必要なくなったが長女がペンキを塗って使っている

靴用の収納家具も 階段下の収納の中で 今も健在

押し入れを洋服かけに使っていたので 奥のスペースに

文庫本専用の本棚を作ったりもした


そうそう、夫の下宿時代の家具は 長女が生まれたころ おさらばした

その時、晴れて家具を買うという幸運に恵まれた

本当は背伸びしてドイツ製の組み立て式の収納家具がほしかったが

梁が邪魔で 入らない    とほほ・・・

そこで 今のイケアではない  昔のイケアの

どうってことない 組立て式の あとで追加ができるものにした

ドイツ製に比べると 作りは安っぽいが 値段もそれなりで、 私たちにはあっていた

が 実は 今も寝室に鎮座して 立派な現役です

必要なものを 工夫して作るということは 

どんなものをどう収納するかとか 作り方を考えるとか 

その後造り付家具を考える場面で ずいぶんと役に立った と付け加えておこう









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家具について

最近世間では ある家具屋さんの 父娘対決で盛り上がっている

もうすぐ株主総会が始まるので またまた再熱しそうです

テレビで 偶然見た来客者のインタビューでは

5,60代の この家具屋のファンは 接客、商品ともとても気に入っている 

3,40代にもファンがいた

60代のファンで 息子たちは ここには行かない という人もいた

もっと安い大型店舗の○○ とか △△に行っている

そうだよね、 最近街中の家具屋はことごとく消滅している印象がある

一昔まえは商店街には必ず家具屋があり、店頭に安っぽいカラーボックスなどが並んでいた

母もこういうところで 衝動的に買っていたのを覚えている

でもそうやって買ったものはあとでいらなくなったり、他の物と合わなくなったり

捨てるに捨てられず・・・ 私はそれがとってもいやだった

戦後すぐに結婚した母たちの世代は 一応お嫁入り道具は持ってきたが

そのあとで一世を風靡したような婚礼セットではなかった

時代が変わり、家族が増えると 

どうしても間に合わせの箪笥や本棚が必要になったのは致し方ない

1970年代に実家を離れ 一人暮らしをする若者は

こたつとファンシーケースと呼んでいたビニール製の洋服かけと押し入れダンスが

3点セットだった   

それに安っぽいカラーボックスを工夫して本棚にしたり、食器棚にしたり

あるいはレコードプレーヤーなどの オーディオコーナーにしたり・・・・

そういうのが 自分にとっても 初めて買い揃える家具であった


その後結婚を機にきちんとした家具を買うことになるが

いわゆる婚礼セットを買う人が多い中 建築をかじった友人たちは

まだ世間では珍しかった壁面収納もどきのしゃれたものを買っていた

そういう時代を経験した世代にとって

話題の輸入物を取り扱う家具屋さんは 隔世の感があった

もうその頃 家具を買う必要がなくなっていたので 直接の縁はないが

住宅を建てる若いクライアントはソファやダイニングテーブルなど買っていた

家具に対しての価値観が違ってきたなーと感じ始めた頃だったかもしれない

住宅設計に取り掛かる前に 手持ちの家具リストを書いてもらっているが

以前は婚礼セットを持っている人が多かったので きちんと納まるように

サイズなど気を使ったが

もう長い間 若いクライアントの家具リストには この手のものがない

その代わりに ベッドやソファーが増え、 収納家具はプラスチックケース

あとは 作り付けのクローゼットね  というパターン

こりゃー町の家具屋がなくなるわけだ



廃墟とは

昨年秋 長崎県端島 通称 軍艦島を見学した

所属団体の行事であったが 会費が高いにもかかわらず

大勢の参加であっという間に 予定に達し関係者は驚いた

ユネスコの世界遺産登録に申請中でちょっとしたブームであることも影響しているか?

なぜ いま こういう廃墟がブームになるんだろう と ある人に言われ

自分でもどうしてだろう と考えた

私はどちらかといえば 天邪鬼で ブームになるものには手を出さない傾向はある

たとえばこの春は北陸新幹線の開通で 大変な金沢ブームになっているが

こういう時は ちょっとはずして 落ち着いてからあるいは 別のところに と思う

そういえば

現在は解体されたが香港にあった九龍城砦あとのスラム街にも

大変興味があったし

イタリアの下町で 狭い道路に面した住宅の窓からロープを

反対側の建物に渡し、そこに洗濯物がまるで万国旗のように干されている光景も

興味深々である

ウイーンやパリに行った時も

有名なシェーンベル宮殿やヴェルサイユ宮殿には行かず

下町の路地やマーケットなど庶民の生活空間に出向いたりする傾向はある

ブランドショップよりも 地元の魚屋さんや八百屋さんを面白がって冷やかしたりもした


こういうことがひょっとして原因の一つかもしれないと思うことはある

人生の大半を過ぎ、若いころ親しんだ景色などに触れたいと思ったとき

そういう場所は ことごとくなくなっている

故郷に帰っても 子供のころに遊んだ場所やよく行った友達の家など

まったく面影がない

特に田圃の周りは 開発が進み 悲しくなるほど 思い出せない


軍艦島が閉山されたのは 昭和49年 ちょうど大学を卒業する年である

今回資料を調べたり、また実際にその場に行ったときに

昭和30年代から40年代の 自分にとっても子供の時代の光景が

多少朽ち果ててはいるものの そのまま残っている状況に不思議な思いが込み上げてきた 

九州や北海道の炭鉱の跡地はたまに映画のシーンで見かけたりするが

ここまで冷凍保存されたかのような 景色ではないと思う


一般的な廃墟ブームはいつごろからなんだろう

自分を振り返ってみると 藤森先生や赤瀬川源平らが始めた 路上観察学会に

触発されたと思う

まだバブルの余韻が残るころ 高度に洗練された ピカピカきらきらしたものに

ちょっと食傷気味になり 質感のある 素朴な手触りが 逆に新鮮に見えたころだろうか

それがもっと進んだ廃墟には 風雨にさらされてなお残っているものに

バブルの泡がなくなり 物事の本質が残ったかのような感覚があるのか

最近の 団地ブームも まさにその延長で

もう一度初心に戻っていろいろなことを考え直したらという啓示かもしれない



 
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