生活感のある設計
母校からの案内で恩師の偲ぶ会のことを知った
M先生は100歳の大台の少し手前で亡くなられた
長い間老人ホームで自由気ままに暮らし
趣味に励み 他の入居者の指揮を執っていたとも聞いた
さすがに大学で他の先生方を引っ張っていただけあって
あっぱれな最期のようだった
あやかりたいのは山々だが
怒涛の時代を先頭に立って歩いていた方たちにはかなわない
先生の授業は設計製図もあったけれど
講義では住居生活学や室内装飾などがあったように記憶している
どちらかといえば家庭科の先生のような授業で
きちんと系統だてられていた
でも友人たちの何人かはこういう真面目な授業を軽く見て
もう少し時代に先駆けたコンセプチュアルな授業を面白がっていた
私はと言えば 以外に好きだったかもしれない
何しろ家庭科は得意科目だったから
たとえば
「お便所で用を足した後、紙が近くにないと困るでしょ」
「手を洗った後手拭タオルが遠いと 床が汚れるでしょ」
「廊下をなくしてリビングを広くするのはいいけれど
テレビを見ている人の前を横切って自分の部屋に行くのはいやでしょ」
・・・・・・ などなど
生活に基づいた住まいの指摘が 手厳しく
お姑さん的であった
でも私にとっては 納得のいくことが多く 熱心に聞いたものだった
そういう姿勢は 今も自分の中にしっかり根付いていて
同じようなことを若い人たちに言っている、 確かに!
その当時人気だった建築家の設計した住宅が建築雑誌に載っていると
友人たちと あーだ こうだ と 批判し合ったものだった
その当時はそれほど掲載作品も多くなかったから
話題のものにはみんな興味を持っていた
そういう時M先生の授業をちょっと批判しておきながら
「建築雑誌に載っている住宅は 竣工したばかりで生活感がなく
普段の生活を始めたらどうなるんだろう・・」 と
手厳しいことを言う友人もいた
お気楽な無責任な学生にとって友人たちと好きなことを言い合うのは
この上もなく楽しかったが
今でもその時交わされた話題の影響か
自分で設計した住宅が完成したとき撮る写真は
竣工してすぐの生活感のないものではなく
1、2年たって暮らしに馴染んだ頃 に撮影してもらっている
いつも不思議に思うのは 竣工時の写真はなんだかツンツンしているが
生活感が出てからの写真は空気の和らいでいるのがわかる
M先生は100歳の大台の少し手前で亡くなられた
長い間老人ホームで自由気ままに暮らし
趣味に励み 他の入居者の指揮を執っていたとも聞いた
さすがに大学で他の先生方を引っ張っていただけあって
あっぱれな最期のようだった
あやかりたいのは山々だが
怒涛の時代を先頭に立って歩いていた方たちにはかなわない
先生の授業は設計製図もあったけれど
講義では住居生活学や室内装飾などがあったように記憶している
どちらかといえば家庭科の先生のような授業で
きちんと系統だてられていた
でも友人たちの何人かはこういう真面目な授業を軽く見て
もう少し時代に先駆けたコンセプチュアルな授業を面白がっていた
私はと言えば 以外に好きだったかもしれない
何しろ家庭科は得意科目だったから
たとえば
「お便所で用を足した後、紙が近くにないと困るでしょ」
「手を洗った後手拭タオルが遠いと 床が汚れるでしょ」
「廊下をなくしてリビングを広くするのはいいけれど
テレビを見ている人の前を横切って自分の部屋に行くのはいやでしょ」
・・・・・・ などなど
生活に基づいた住まいの指摘が 手厳しく
お姑さん的であった
でも私にとっては 納得のいくことが多く 熱心に聞いたものだった
そういう姿勢は 今も自分の中にしっかり根付いていて
同じようなことを若い人たちに言っている、 確かに!
その当時人気だった建築家の設計した住宅が建築雑誌に載っていると
友人たちと あーだ こうだ と 批判し合ったものだった
その当時はそれほど掲載作品も多くなかったから
話題のものにはみんな興味を持っていた
そういう時M先生の授業をちょっと批判しておきながら
「建築雑誌に載っている住宅は 竣工したばかりで生活感がなく
普段の生活を始めたらどうなるんだろう・・」 と
手厳しいことを言う友人もいた
お気楽な無責任な学生にとって友人たちと好きなことを言い合うのは
この上もなく楽しかったが
今でもその時交わされた話題の影響か
自分で設計した住宅が完成したとき撮る写真は
竣工してすぐの生活感のないものではなく
1、2年たって暮らしに馴染んだ頃 に撮影してもらっている
いつも不思議に思うのは 竣工時の写真はなんだかツンツンしているが
生活感が出てからの写真は空気の和らいでいるのがわかる
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