住まい方を比べてみれば
暇を持て余したら何をやるか?
子育て中は少しでも寝ていたい と そういう贅沢は誰のもの? だったが
この頃は それは私のもの! になってきた
うれしい反面、 さあどうしよう と思うこともある
とりあえずはパソコンが相手をしてくれる便利な世の中
誰かのブログを見るということはあまりないけれど
地図はいつもお友達だ
思いついて友達の家を 覗き見してみたり
昔住んでいた アパートを探してみたり・・・
日本に限らず世界で可能ということが 素晴らしい
かつて住んでいたアメリカのアパートも
そのまま存在していた
その地を離れて30年過ぎても再訪できないが
ストリートビューでしっかりタイムスリップした
私たちが住んでいたのは ニューヨーク州バッファロー市プリンストン アヴェニュー
表通りからゆるくカーブしたその道沿いにある
かつては大学の既婚者用の寮として建てられたアパートだ
2階建て切妻屋根の何の変哲もない作りがいかにもアメリカらしい
1戸建ての住宅を何人かでシェアするのは大学生だが
ここは一人で研究に励みたい大学院生や既婚者の学生が重宝していた
当時でも築50年くらいといわれていたが 今でも外観はそのまま
樹木も家の前の芝生広場も 信じられないくらいそのまま
ドアをノックしたら 30年前の自分が出てきてもおかしくないくらい
ちょっと映画の見すぎですか と恐ろしくもなる
日本の激しく変わる町の様子からは考えられない
そのアパートは入口の共有ドアを開け半階上がると玄関ドアがあり
いきなりリビングになっている
いわゆる玄関らしきものの存在がない
最初のちょっとしたカルチャーショックを受けた
しかも床面がフラットで靴を脱ぐ場所は もちろんない
多くの日本人は家の中で靴を履いたままという生活はできないのか
みんなリビングの端っこで靴を脱いでいた
家でくつろいでいても 突然の訪問に右往左往することがあるので
リビングは小奇麗にしている場合が多い
一般的に日本の住宅を訪問してきちんと片付いている家もあるが
リビングが雑然としているのは
たぶん玄関というワンクッションがあって
いきなり外から覗かれないからかもしれない
それはいいことなのか 悪いことなのかと この頃疑問に思う
昭和の余裕のある日本の家なら応接間という存在があり
茶の間は家族のカジュアルな空間だったけれど
リビングがそれらを兼用するようになって
安易な方に転げやすいので 応接間化するよりは 茶の間化している
懐かしい昔の暮らしにタイムスリップしながら
結局考えているのは こんなことばかりで
気が付いたら仕事モードになって トホホ
近くのかわいい家並みを見ながら
その当時はアメリカの家をどう評価していいかわからなかったが
今はもう少し違った目で見られることが 結構楽しい
子育て中は少しでも寝ていたい と そういう贅沢は誰のもの? だったが
この頃は それは私のもの! になってきた
うれしい反面、 さあどうしよう と思うこともある
とりあえずはパソコンが相手をしてくれる便利な世の中
誰かのブログを見るということはあまりないけれど
地図はいつもお友達だ
思いついて友達の家を 覗き見してみたり
昔住んでいた アパートを探してみたり・・・
日本に限らず世界で可能ということが 素晴らしい
かつて住んでいたアメリカのアパートも
そのまま存在していた
その地を離れて30年過ぎても再訪できないが
ストリートビューでしっかりタイムスリップした
私たちが住んでいたのは ニューヨーク州バッファロー市プリンストン アヴェニュー
表通りからゆるくカーブしたその道沿いにある
かつては大学の既婚者用の寮として建てられたアパートだ
2階建て切妻屋根の何の変哲もない作りがいかにもアメリカらしい
1戸建ての住宅を何人かでシェアするのは大学生だが
ここは一人で研究に励みたい大学院生や既婚者の学生が重宝していた
当時でも築50年くらいといわれていたが 今でも外観はそのまま
樹木も家の前の芝生広場も 信じられないくらいそのまま
ドアをノックしたら 30年前の自分が出てきてもおかしくないくらい
ちょっと映画の見すぎですか と恐ろしくもなる
日本の激しく変わる町の様子からは考えられない
そのアパートは入口の共有ドアを開け半階上がると玄関ドアがあり
いきなりリビングになっている
いわゆる玄関らしきものの存在がない
最初のちょっとしたカルチャーショックを受けた
しかも床面がフラットで靴を脱ぐ場所は もちろんない
多くの日本人は家の中で靴を履いたままという生活はできないのか
みんなリビングの端っこで靴を脱いでいた
家でくつろいでいても 突然の訪問に右往左往することがあるので
リビングは小奇麗にしている場合が多い
一般的に日本の住宅を訪問してきちんと片付いている家もあるが
リビングが雑然としているのは
たぶん玄関というワンクッションがあって
いきなり外から覗かれないからかもしれない
それはいいことなのか 悪いことなのかと この頃疑問に思う
昭和の余裕のある日本の家なら応接間という存在があり
茶の間は家族のカジュアルな空間だったけれど
リビングがそれらを兼用するようになって
安易な方に転げやすいので 応接間化するよりは 茶の間化している
懐かしい昔の暮らしにタイムスリップしながら
結局考えているのは こんなことばかりで
気が付いたら仕事モードになって トホホ
近くのかわいい家並みを見ながら
その当時はアメリカの家をどう評価していいかわからなかったが
今はもう少し違った目で見られることが 結構楽しい
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