フィンランド紀行 4 アアルトハウス

アアルトのアトリエから 裏道を歩いて 10分で 自邸につく

もともと自邸の一部にあったアトリエが手狭になり 近くに移転した

この自邸が完成したのは1935年で計算してみて驚いたことに80年以上も

経過している このころ、パイミオのサナトリウムが世界的な評価を得て

次々に仕事が舞い込む時期だったんだろう

同時にこの時期は第2次世界大戦の直前、ドイツ人のグロピウスやミースたちが

アメリカに亡命しようとしていた頃だ

とてもそんな時期に建てられたとは 思えず このまま住めそう!

外観は屋根のないフラットルーフであるが木や塗装などによる仕上げなので

モダンであるが どこか懐かしさもある

道路側の玄関から右の方はアトリエにつながり 左側のゾーンがLDKなど

内部はとても落ち着いた 生活のしやすい作りで アトリエとも

付かず離れず うまく分離されている

2階のつくりを見て特に驚いたのであるが  知らず知らずのうち

かなりアアルトからの影響を受けていたようだ

想像するに、私の1世代上の建築家たちが設計する住宅を見て

いいな とおもう 部分を 自分なりに取り入れていたからで

その原点が アアルトにあるとは 思ってもみなかった

それは 単にデザインや ディディールなど表面に出ているものではなく

生活の仕方や空間構成などのコンセプト やスケール感 などである

その2階の構成であるが 階段を上がったところが 家族のラウンジになっていて

その周りに子供部屋、夫婦の寝室、水回り などを配している

そうか、この考え方は アアルトだったんだ と ひとり ほくそ笑んだ

図面をよく見ればわかることだけど 実際に見て感じるのは また別である

私も今まで2階は廊下があって部屋が南側にずらずら並んでいる

という構成はいやだった 下宿のようで・・・

我が家の場合も子供部屋と夫婦の寝室の間に廊下を兼ねた家事室兼

皆の居場所をつくったが、それは好評であったので

ほかの設計でも ファミリールーム、パソコンコーナー、ピアノのある部屋

など ラウンジ的な空間を作るようにしていた

此の辺りのことは お知らせの写真の解説でどうぞ

また お庭もとってもよかった 周りを塀で囲みすぎず 高低差を生かしながら

最低限の事だけをやっている  物の本によると この時期 経済的には

大変だったらしい、 戦争前のこの時期 贅沢はできないよね

でも お金があるからと言っていい家ができるとは限らない

限られた 中での方が いいアイデイアが出るのは 古今東西 同じかも





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